2009年11月27日金曜日

シンポジウム「市民社会再生に向けて <文化裁判員>制度はありうるか?」(12/12)を開催します!

こんにちは、事務局の佐藤です。
文化資源学公開講座では12/12に
下記のシンポジウムを開催いたします。

3年間にわたって開催されてきた公開講座の
総括となるシンポジウムです。

みなさまのご参加をお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします!

今更?のTwitterも始めています。
試行錯誤中ですが、こちらもよろしくお願いします!
http://twitter.com/shiminsyakai

以下、転送歓迎!
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東京大学文化資源学公開講座
「市民社会再生―新しい理論構築に向けて」シンポジウム
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市民社会再生に向けて、

<文化裁判員>制度はありうるか?

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日時 2009年12月12日(土)14:00~17:30
会場 東京大学法文2号館1大教室
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR-K/akusesu.html
定員 150名
申込 以下、オンラインフォームよりお申し込みください。
http://bit.ly/4sY1YL

詳しくは以下のウェブサイトもご覧ください。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR-K/shinpo.html

主催 東京大学大学院 人文社会系研究科 文化資源学研究専攻
協賛 パナソニック
後援 文化資源学会、日本文化政策学会
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長い目で見れば、裁判員制度は、おそらく、
この夏の「政権交代」よりももっと大きな影響を
日本社会に及ぼすことになるのではないでしょうか。

では、文化の領域で、どのように可能だろうかという問いかけを、
シンポジウムで行おうと思います。芸術文化の価値とその振興策を
誰がどのような仕組みで決定=裁判するのかという問題提起です。

ここでは「裁判」という言葉を比喩的に用います。
決して、裁判制度を芸術文化の世界に持ち込むのではありません。

争いごとの裁定ではなく、価値判断や評価を下すこと、しかし、
それが単なる個人的な判断に終わらず、社会に生かされる仕組みを
考えようとすることを、「裁判」という言葉に託したいと思います。

いいかえれば、「裁判官」の世界に
「裁判員」が参入することの可能性を問いたいと考えています。

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14:00~14:15 3年間の総括と趣旨説明
木下直之(東京大学人文社会系研究科教授)

14:15~15:15 話題提供「裁判員制度が社会にもたらしたもの」(仮)
三谷太一郎(東京大学法学部名誉教授)

<休憩:15分>

15:30~16:30 3プロジェクトチームによる報告
「戦後の文化行政、美術館、モダニズム建築を考える」
「<所有>からアートの公共性を考える」
「芸術文化振興施策に関する規範を考える」
各チーム代表者(3チーム、各20分程度)

16:30~17:30 総合討論
司会=曽田修司(跡見学園女子大学教授)
小林真理(東京大学人文社会系研究科准教授)

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連絡先 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室内
〒113-0033 東京都文京区本郷7-3-1 tel/fax 03 (5841) 1251
e-mail: shiminsyakaisaisei[@]gmail.com

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2009年11月12日木曜日

【第七回議事録】プロジェクト2:「『所有』からアートの公共性を考える」

こんにちは。11月も中旬になり、いよいよ寒くなってきましたね。

大変お待たせいたしました!10月23日の議事録をお届けいたします。

■これまでの論点洗い出し(メーリングリスト上で展開された議論タイトル)
-なぜ行政がアートに助成しなければならないのか
-文化裁判員制度はありうるか
-共を支えるための経済的仕組み →なぜ行政がアートに助成するかとの関連
-黒NPOと赤NPOの経済的観点
-文化施設に期待すること
-アーティスト議員・政策を担う文化人
-公共コレクション
-アートと倫理、表現の自由
-アートとデザインの境界
-ジェントリフィケーション、および文化による地域活性化
-限界集落の祭り
-ボランティア

■12月のお題「文化裁判員」(※)について
(※シンポジウム仮テーマ中の用語。詳細は改めて告知させていただきます。)

「文化裁判員」をプロジェクト2が一番広くとらえている?大風呂敷。
=「いろんな人が文化に関わって意見を行って決めていく仕組み」
経済的に支える仕組みも、ネットでいろんな人が意見を言えるのも、アーティスト議員も

文化裁判員制度はありうるか?で、ありえるorありえないではなく
すでにいろんな形で存在する・これからも存在しうる
文化に対する意思決定の多様なありようについて、私たちはこう考えた、ということを示したい。

「関わることも一種の所有」
「文化裁判員も、すでに私たちが関わってしまっている関わり方の一種」

所有→共同体のとらえなおし
限りなく変幻自在な、一夜の観客も、ネットコミュニティも共同体

■多様性の尊重
活発な議論ができたのは、それぞれのバックボーンが違うから
多様な共同体にそれぞれが属していることによって、いろんな角度から文化について見られる
多様性の担保
アート好きとして大きく偏ってはいるかもしれないけど

裁判員を制度化するとしたら、
どれだけ多様なコミュニティの声を反映できるか
閉じたコミュニティでの閉じた判断では文化裁判員はおかしくなる気がする

オープンな議論をすることは大事
でもなんでもありでいいのか?
無限にある共同体の尊重がない限り、文化裁判員制度OKとは言っちゃいけない気がする
参加の保証、関われることの保証


■まとめ

文化裁判員制度はありうるか?
→すでに私たちは多様な文化裁判のありように参加している
ただしそれが制度として機能しているかどうかは考えなければならない
そこにどれだけ多様な価値が加えられるか
意思決定と価値形成が文化裁判に求められる

それは制度として機能しているかどうか、
機能しているものはどういう要素があって機能できているか
できていないものに足りないのは何か
どのように機能させるか

加えて裁判員の波及効果
よい裁判が何かは誰にもわからない
ただそこに関わることによってこういう効果があるということは言える
関わることは一種の所有
すべての国民が裁判員になれる=すべての国民が文化に関われる
関わることは一種の所有

だからといって関わることが大事なんだから無罪でも死刑でもどっちでもいいというわけではなく

文化裁判で判定するのはいいかわるいかではない。
何を判定するのかはわからないけれど、
たとえば税金の使い方が悪いかどうかは判断できる
でも多様性を大事にするなら9割が無駄といっても1割が必要だというのはどうするか

その1割を担保するのが人権
文化権を人権ととらえるイメージがもっと広がるといい
今は文化の幅が狭くて既にある文化を広められるものが文化権みたいな理解だけど
文化的生存権、曽田先生風にいえば、「参照系の保障」

(以 上)

先日は、通常の日程に加え、臨時会議(?)も開催しました。
12月のシンポジウムに向けて、議論はますます加速していきます!

2009年11月3日火曜日

【第六回議事録】プロジェクト2:「『所有』からアートの公共性を考える」

こんにちは。
11月に入り、温かい飲み物にほっとする日も多くなりましたね。

プロジェクト2は、合宿と合宿後のミーティングを経て、
北風に負けない!?議論を展開しております。

それでは、少々遅くなってしまいましたが、
後期第一回目、10月9日の議事録をお送りいたします。

【編集中】
※申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちください。