2009年7月3日金曜日

プロジェクト1 第3回議事録

東京大学文化資源学公開講座「市民社会再生」2009 
戦後の文化行政、美術館、さらにモダニズム建築を考える
プロジェクト作業② 要旨
2009.6.26

6月26日は、まず木下先生からMLは情報提供の場として使うという点の確認があった後、前半が木下先生による問題の再確認、後半が参加者からの問題提起であった。
木下先生は、何を問題とするのかを明らかにするために、美術館と建築の2つの問題についてレジュメに沿って問題を整理された。また、論点を絞るほかに、参加者が基本情報の収集を行うことを提案された。(以下、神奈川県立近代美術館を鎌近と表記。)

〇木下先生から。
【1.問題の整理】

1)問いかけが必要:美術館は市民社会再生の拠点たりうるか。
・半世紀前に建てられた鎌近:今でも当初の役割を担いうる力を持っているのか。
・2009年に起こっていること:丸の内の三菱一号館再建について。
1894年(明治27年)に作られ、約70年後の1968年に壊された三菱一号館が40年の空白期を経て、2009年に全く同じ形で再建された。昔のものを技術的にいかに忠実に再現したかという点を強調。丸の内の文化の拠点を目指している。
美術館として使うという点が釈然としない。採光を重視したオフィスビルを、光を嫌う美術館にすることに矛盾。三菱一号館は丸の内での一企業の経済・商業の拠点である。美術館がそれぞれの時代で担う役割は違う。
・コレクション:利用者は展示活動を通じて美術館とつながる。人を入れるのなら、どういう展示をするのかが大事。コレクションの蓄積が、社会に対する役割となる。
・モダニズム建築:目指したものと、デザインが一致した鎌近。
・美術館は権威を持っていくが、「開かれた美術館」「敷居の低い美術館」は、どういう状態を言うのか。物理的なことだろうか。
・美術館の外で、美術を支援している人がいる。美術館は美術の拠点たりうるのか。

2)建築保存について:日本は建築をどのように残してきたか。
・残すべきもの概念がどんどん広がっている。建造物単体から、その連なり、さらには
文化的景観といわれる自然と一体となった人間の営みまで。
・丸の内では1894年の建物が復元された。一方、東京中央郵便局は壊され、三菱一号
館の復元のために1930年に建てられた東京八重洲ビルが取り壊された。先週の見学
会では東京八重洲ビルの話題が出なかった。

3)「箱物」を再考しよう。
・箱物は美術と建築を横断することば。箱物というレッテルは簡単すぎ。建物は、当事者が熟考して作ってきたもの。レッテルによって簡単に切り捨てていいのか。補正予算がついた国立メディア芸術総合センターの問題では、われわれがこれまでミュージアムをどう作り、どう関わってきたかということが問われている。

【2.基本情報収集の提案】
参加者が20人なので10点を列挙したとのこと。以下の10項目の説明があった。
・戦後の美術館建設史年表
・美術館設置条例:必ず目的が記されている。ここ10年、ミッションとよく言われる。
・美術館予算:ケーススタディとしてモニター。美術館と博物館を作る順序は自治体により異なる。美術館と博物館の予算費はどんどん開いている。文化行政の実態を知りたい。
・占領期の文化行政、文化政策
・「箱物」:メディアが好んで使うが、いつから使われるようになったのか。
・「アニメの殿堂」:何がおこっているのかをモニターする。
・建築保存の手法
・モダニズム建築の保存:焦点を絞りたい。どうあったのか、どうあるべきか。
・鎌倉の景観:鎌近はどのような状況下にあるか。
・東京中央郵便局:具体的物件として。もうみんな忘れているか?東京中央郵便局についてのwikipediaは、建築保存の人が熱心なため充実している。保存を求める人はどのように組織されているのか。

収集した情報をwebで発信することについても、木下先生から提案があった。
「100年の会」の人は、建築中心。何が何でも建築を残すという姿勢が、部分保存、移築保存などにつながる可能性がある。鎌近は美術館かつ建築である。

〇受講生からの提起:この一週間で考えたこと。
「鎌近と地域の人との関係性」
「鎌近のコレクション形成」
「鎌近と芸術家との関わり方」
「近代と現代」
「鎌近が鎌倉に建った経緯」
「景観の評価」
「建物の使い勝手と保存の兼ね合い」
「文化財保護政策再考」などが挙げられた。
具体的には概ね以下のような発言があった。

・演劇の世界では、歌舞伎座の取壊し、再建計画の問題がある。歌舞伎座は再建後、ビルの一室になってしまう。京都の南座は反対運動によって保存された。串田和美は劇場について以前、「足を運んでいなくとも心の拠り所となる劇場」となることが大事であると書いていた。歌舞伎座も心の拠り所となる劇場であろう。鎌近は、どうだろうか。地域の人との関連性を調べてみたい。

・歌舞伎座は箱と中身が一致している。外と中身が歴史性を帯びている。

・鎌近のコレクションについては、当初コレクションを想定されておらず、小規模な収蔵庫しかなかった。美術館に求められるものは時代によって違う。ボランティアが良い例。1980年代にボランティアは想定されていなかった。ボランティアが流行りだすのは、生涯教育から生涯学習といわれるようになってから。

・鎌近の建設当時の思いは強く、鼓舞はしているが、中身の議論はない。東京都立現代美術館の展示は最近、教科書的展示から現代作家重視へとシフトしている。鎌近と芸術家との関わり方はどうだったのだろうか。

・近代と現代の関わりに注意したい。坂倉準三は現代美術館を想定。美術館形成過程には、大きな声を出す人物が存在する。鎌近をとりまく人間像を軸に語るのは面白いのではないか。

・酒井忠康著「その年もまた 鎌倉近代美術館をめぐる人々」(p.211)には、「鎌近は日本近代美術を収集。他に知られる前に展示した」という記述がある。鎌近は近代美術を扱ってきたととらえてよいのでは。

・現代・近代の概念は変わる。坂倉にとっての現代と近代、その後の反響、今はどうかを調べる必要があるのではないか。

・建築・景観の視点から俯瞰してみてみたい。鎌近があの地に立った時代背景、建築家について考えたい。都市建築デザインとは何か。

・当時は景観を破壊するとは思っていなかっただろう。

・景観は時代ごとに転機があり、商業ベースで高さ制限が変更されてきた経緯がある。建築はアートとして建てられているので、景観を壊そうとして建てられてはいない。

・坂倉の建設当時は、境内に高さ制限はなかった。

・見る視点が異なれば、景観の評価は変わる。

・建築の使い勝手と保存の折り合いをどうつけるのか。保存によって、建物の使い勝手には妥協をしなくてはならないのか。

・建築には、使いやすさも大事だが、建築としての面白さも大事。英国では建築の安全性を優先するために、「health and clean」チェックを行わなければならなくなった結果、美術館がつまらなくなってきた。また、ロンドンの大英博物館のノーマン・フォスター設計のグレート・コートが高さ制限に違反しているとして、今裁判にかかっている。大英博物館は取壊しではなく、罰則金を払うという解決手段をとることになるだろう。

・オフィス街の建物の保存では、保存活動の主体が弱い。以前は日本でも、後藤新平の計画、「都市美」とう言葉に表れるような美意識があった。今、景観は変換期にあるのでは?

・重要文化財指定や登録有形文化財制度が有効に機能していないと感じる。国の文化財保護制度を見直すべきではないだろうか。

・古いものを残すことが、腑に落ちることがある。制度を見直していい。

・鎌近の公共性を考える上で、予算・利用者数・ローケーション等、鎌近の比較軸となる他の美術館を設定したほうがよいのではないか。

まとめ:美術館は誰を想定して建てられたか。鎌近の想定は神奈川県民ではなく、日本国民だった。多くの美術館の建前は、県民・市民のためである。また、近代美術・現代美術の概念は変化し続けている。東京都立現美術館の出発点は都美術館の現代美術コレクション。最近展示が変わったのは、職員が変わったことによるだろう。近代美術館は、日本の近代美術を集め、歴史の回顧をする。美術館と、美術家、現代アーティストとの関係は違う点に注意を要する。

〇今後について
木下先生から、6月27日(土)、7月11日(土)の鎌近遠足についての確認。また、ゲスト選定を急ぐ必要がある旨が告げられた。

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