2009年6月25日木曜日

「芸術文化支援施策に関する規範を考える」グループ 第2回


「芸術文化支援施策に関する規範を考える」グループ 第2回会合記録
2009年6月19日(金)18時40分~ 東京大学本郷キャンパス法文1号館217号室

・ テーマ;「芸術文化の規範とは何か」
・ 発表者; 松浦耕平さん、 芳賀久雄さん、 島田圭一さん

1.問題提起の確認
; 「芸術文化」という言葉に対してイメージすることは、人によってまちまちであり、一つの定義をもたせることは、そもそも不可能なのではないかと自分は思っ ている。だから先に共通基盤を作るのではなく、それぞれの立場や差異を明確にしていくというアプローチを自分は採用したい。

2.プレゼンテーション
■松浦耕平さん
「芸術文化」と言っても幅広いが、自分の芸術文化に対する思い出を振り返ると、そこには「人の生き方」が必ず伴っている。芸術文化は人間から離して考えることはできない。そこを出発点とし、自分にとっての論点を見つけ出してみたい。
①人間関係
「芸術文化を支援する」ということは、芸術文化に携わる人々を支援する、ということ。芸術文化には必ず人間関係(他者とのコミュニケーション)が伴い、そのことが芸術文化を持続的なものにしている。
②東京中心の芸術文化政策
国の政策は、常に東京中心に考えられていくことが自分にとっては疑問。しかし人的資源も東京に偏ってしまっている。
③政策と現場との乖離
自分の偏見かもしれないが、国の政策は一部の専門家により独断的に決められているイメージがある。実際に実務に関わる芸術の現場の人とはかけ離れているのではないか。政策と実務との間にコンセンサスはとれているのか。

■芳賀久雄さん
市役所の文化振興課に7年ほど勤務した。このたび文化協会の運営について考えることとした。
横須賀文化協会は横須賀市内で活動する芸術団体をとりまとめ、行政とのかけはしとしての役目を行なう機関。しかし「一般には、あまり情報を発信していない」ように見受けられる。その原因としては、
・役員の高齢化(ほとんどの役員が70歳以上)
・市の「文化振興審議会」に理事長をはじめ役員が関与していない。
・市の文化施策に積極的に関わっていくことができない。(文化振興審議会で話し合われたことが、ダイレクトに3~4年後の施策に反映されることが多い。)
ということが考えられる。また、加盟団体の中だけで完結することなく。周辺地域の団体とも交流しなければならないのではないかと考えている。
■島田圭一さん
「芸術文化」と「文化芸術」という言葉は全く違う。「文化芸術」という言葉には、「芸術と国」「ナショナリズム」といったイメージが伴い、そのまま「北朝鮮のマスゲーム」という言葉に置き換えても意味が通じてしまう。自分としては「文化芸術」という言葉が大嫌いだ。
… 平成13年に「文化芸術振興基本法」が制定されてから、各自治体で制定される文化振興条例は軒並み「文化芸術」と冠するようになった。練馬区の時は、語義 があいまいな「文化芸術」という言葉を使うべきでないと主張したが、最終的に通らなかった。そもそも行政自体に語義に対する理念がない。
…語義を考え、コンセンサスを持って議論することが大事。

3.座談会
■規範とは
…政治、施策を考えていくための基本的なコンセプト。ただし行政が規範によって芸術を縛ることには問題がある。真の芸術創造を支援するためには、ヨーロッパでとられる「アームスレングスの法則」のような視点も必要。
…規範とは、自分達自身の歴史をふまえて考えるべきものではないか。

■地方と東京
…地方と東京との違いとは、経済性だけだろうか。
…芸術に関する教育自体が東京に集中している。さらにプロとして活動できる人も地方ではわずか。

■文化行政におけるリーダーシップをとれるのは誰か
…自治体では首長の文化に対する意識に相当影響される。実際のところ「市民の声」というものは少ない。
…自治体単位でも、芸術監督が必要なのではないか。

■芸術文化を支援するコンセンサス
…行政に関わる専門家の中にも、芸術文化に行政が支援するということ自体に反対する人がいる
…日本人の中にはヨーロッパのように芸術文化を需要する仕組みが根付いていないのではないか。「美しさ」に関する感覚が欠けているのではないか。だから行政は「芸術文化」と言われてもピンとこない。
…「芸術文化」に対する認識が固定化していないか。美的感覚の固定概念に流されているのではないか。国や地域それぞれのアイデンティティがあり、文化行政を考える際には、必ず様々なアイデンティティの交差がある。
…「文化行政」という言葉は、地域のアイデンティティを確立するための「手段」。行なうべきことは、市区町村、都道府県、国、それぞれの行政単位によって異なる。地方自治の主体は市区町村となってくる。
…地域の文化行政の現場では、「支援を受ける」ということは、同時に必ず受けられないものがあるということを意味する。結果、行政の施策は(公平性を保つため)中途半場なものにならざるを得ない。
…「とりこぼされているもの」は何か。
…行政の中には、現場の声をすくいあげ、実行できる人がいない。コンサートホールを建てるにしても、現場の声を踏まえず使い勝手の悪いものしかできない。
…作品を創る側、鑑賞する側、支援する側が3者それぞれ歩み寄って議論するべき。
…「文化」と「芸術」は違う。また「文化の担い手」と「芸術の担い手」も違い、それぞれが相乗効果を持つものなのではないか。行政のトップで全体を俯瞰できる人がいないのではないか。
…「文化芸術」を定義するということ自体がそもそも不可能なのではないか。

4.今後呼ぶゲストについて
…現代美術家の宮島達男さん(国の政策に積極的に関わっている芸術家)かchim↑Pomのメンバー(行政が定める芸術の規範に疑問を提示する立場にいる芸術家)
…アートが善か悪かの議論は、このプロジェクトでは必要ないのではないと思っている。むしろ国のシステム(助成金制度で人件費を支援できない理由等)について話せる人を呼んだ方が良いのではないか。
…実際のところ、今の文部科学省で行政のシステムについて明解に話すことができる人はいない。自分としては、最近では真鶴町の「美の条例」の担当者の話に勇気づけられた。
…情報法の専門家として白田秀彰さん。

※ゲストについては、次週以降の会合も踏まえ、引き続き検討していくことになった。


(記録:松岡智子)

0 件のコメント:

コメントを投稿